この学校は、地域的にみますと、蟹江町の北の方に位置し、通学する地区の方々の気に入った校名「蟹江町立蟹江北中学校」として、産声をあげることになりました。古来、大和民族が邑(むら)や都を定めるとき、いつも「北」を鎮めの拠点としていました。広い海を航海したり、未知の地を旅行する人は、いつも美しく輝く北極星をめあてにしたものです。この中学校が、町当局や議会の皆様のご理解と、地元地主さん方のご協力を得て、次代をになう生徒らの修養の殿堂となり、北の空にまたたく星のように、世のため、人のために役立つ人物を産み出すことができるよう祈ってやみません。
(昭和55年3月発行、広報「かにえ」より)